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发表于 2022-4-10 07:24
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オリジナル新編明清筆記小説『雅儲』(一)
鄭板橋は秀才のころ、揚州カン江に三度も書画を売りに行ったが、品物の知識のある人はいなかった。彼は当時孤独で失意に陥っていた。後に郷試で抜擢され、すぐに中甲にランクされ、名声を轟かせた。彼が再びカン江に書画を売りに行くと、索墨宝を求める人が多く、門の外はいつも人でいっぱいになった。鄭板橋はさすがに寒士であったから、名声は高かったが、それ以上に自分の名声を重んじた。高値をつけないのは、手を出すのではない。沈凡民(シムボムミン)先生が代わりに印鑑を作ってくれた。「20年前の古い板橋」。そうして、かつての卑しい地位の憤慨を肝に銘じた。
そのころ、江西の張真人が、王に参上して京に入ってきた揚州に立ち寄った。一時の富豪商人は競って媚びて、すべて鄭板橋を求めて対聯を書いてこの張真人に献上したいです。ある商人はわざわざ江西で1枚の大きいメモ用紙を注文して、長さは1丈余りになります;幅は六尺余りと唯一無二である。商人は人を使って婉曲に鄭板橋に頼んで書き、また彼に対聯詩句を書くように頼んだ。ユンガーはいくらですか?鄭板橋は、「銀子千両」と返した。使いは五百両である。鄭板橋は快諾して、書状をまっすぐにして、やがて上申した。「龍虎山中真宰相」とある。鄭板橋にもう一度連を書いてくれと頼むと、彼は笑って、「千両と言えば、お前は五百しか払えない。俺は半連しか書けない」と言った。やむなく帰って商人に訴えた。商人はやむなく鄭板橋に金を払った。彼は銀貨を受け取ってすぐ、「麒麟閣上活神仙」と書いた。人々はこれを見てみな感嘆した,工妙絶倫だ!
当時の富商、塩政官吏、都転塩運使はみな鄭板橋の書画に目をつけ、競って買い占めた。対聯であろうと垂れ幕であろうと、さらには斗方であろうと、買うことができれば面子がある。これらの者のほとんどは、それぞれに得をしているが、ただ一人の富商某甲は、生れも賤しく品性もはなはだ卑怯である。鄭板橋は彼に愛想をつかしており、彼が高い値段を出しても自分の作品は売らないと誓っていた。某甲はみずから客間に先生の書画がないことを見て、ひそかに恥ずかしく思い、あらゆる手を尽くして取り立てたが、結局手に入れることができなかった。
鄭板橋は旅行が好きだ。ある日、そこの書生をつれて、詩袋を背負って、城東郊外へ徒歩で出かけた。だんだん人のまばらな所へ行くと、墓の雑草の間から部屋の隅がうっすらと見え、その上から炊煙が少し出ていた。傍らには背の低い柳の花が植えられている。鄭板橋は不思議そうに笑って、「こんなところに隠者がいるものか」と言った。峠を越えたところで、墓はもっと多く、道も狭かった。さらに前を見ると、小さな庭が見えた。茅葺の家が幾間もつづいており、周囲に隣家も塀もない。小川を横切って、門の前まで橋がかかっている。門の両側には二組の白い板の対聯があって、そこには「劉伶褌外住を脱出して、蘇髯腹内居に喜ぶ」と書いてある。上辺横額「怪叟行窩。」
鄭板橋はますます気になって、中に入ってみようと思った。門を入ってまた一重門で、両側に同じ対聯があります。一つは「月が白く風が澄んで、ここに誰を卜宅させるか。」もう一つの連体は「燐陰焔聚ひ、平生鬼と隣り合わせて喜ぶ」。横額は「富児絶跡。」庭には鳥籠が吊り下げられ、魚の盆が置かれ、花や薬草が映える。奇妙なことに新種のバショウは手のひらほどの大きさしかない。植えたばかりの柳は人よりも背が高い。
鄭板橋が部屋に入ってみると、南側の二軒の家には埃ひとつなかった。テーブルが一つ、机が一つ、椅子が四つ、腰掛けが二つ、木牀と藤枕と書斎が一つ、琴剣竹の棚も一つ。机の上には筆や硯、紙や墨、ものさしや水盆がそろっている。壁には徐青藤老人の描いた「補天図」も掛けてある。図の中の女禍螺髻は高額で、炉鼎を見上げ、鼎の中で湯気がゆっくりと空中に昇っていく……女禍は怒って描いたが、絵は本物だった。両脇の壁は白い銀のように白く、何の書画もかかっていなかった。鄭板橋は部屋の置物を気に入って、主人が誰であろうと、気まぐれに牀榻に上がってあぐらをかいた。(つづく)
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